【教員志望の四年生へ】教員と民間企業で悩んだら見てほしい

資格・本

こんにちは、SHINYA です。

わたしは某地方国立大学教育学部を卒業し、幼稚園〜高校の教員免許を持っています。

大学四年時に、教員か民間企業で迷いに迷い、どちらも受けて、今の会社に至ります。

教員志望の学生であれば、一度は民間企業も選択肢としてチラついた経験はあるはずです。

そんなわたしの経験を踏まえて、

教員を志したきっかけ

大学4年時に考えていたこと

民間企業に入って思うこと

についてお話しします。

教員志望だけど就活せずに民間企業を捨てていいものか

教員と民間企業で迷ってる

そんな学生にこそ、見ていただきたい内容となっています。

教員を目指したきっかけ

中学時代の恩師との出会い

わたしが教員になりたいと最初に思ったのは、中学2年のとき。新しく赴任してきた26歳の男性教諭(O先生)が、わたしが所属していた剣道部の顧問になったことがきっかけです。

わたしは中学から剣道をはじめたこともあり、まだなんの実績もありませんでした。まずは県大会に出ることを目標にしていました。

O先生は、年が近いこともあって、先生というよりも、みんなのお兄ちゃんのような存在でした。

親しみやすい雰囲気でしたが、部の状況を見て厳しい事を言ってくれる先生でした。

O先生が来てから、部活の日数も増え、稽古内容も厳しくなり、練習試合も増えました。部活を離れていった生徒もいましたが、ほとんどの部員はついていきました。

厳しい一面もありつつも、わたしたちを1番に考えてくれていることを、みんなわかっていました。

県大会予選の前日。O先生が電話をくれました。その時言ってくれた、

普段はまだまだみたいなことこと言ってるけど、俺はお前なら勝てると本気で思っているよ

という言葉は、今でも忘れられません。

生徒と一緒に戦ってくれる、そんな先生でした。

こんな教師に出会えたことは、大きな財産だったと感じます。

こんな風に裏表なく、自分らしく生きていけたら楽しそうだなぁ、と中学生ながらに思った事をおぼえています。

恩師との別れ

O先生が毎日楽しそうに生徒と接する姿を見ていて、わたしもこんな風に自分らしく、生徒の成長を後押しをする仕事がしたい。そう思うようになりました。

O先生の指導もあって、中学2年の春休みの段階で2回、市の大会で優勝することができました。

さらなる飛躍に期待を膨らませていた中学2年の春休みの朝。

父親から、

O先生、異動するんだな。』

と言われました。

なんでも新聞に異動が書かれているとのこと。

『でもそんなことO先生は一言も言ってなかったし、そもそも1年で異動って早すぎない?』

そんなことを思いながら、部活に行ってO先生に確認すると、

すまん、俺今日までなんだ!

と明るく言われました。

一同、動揺を隠せませんでしたが、部活の後、公園に集まってみんなで色紙を書いて、O先生に渡しに行きました。

泣いている生徒もいました。

どの段階でO先生が異動を知っていたのか分かりませんが、2年生の冬ごろから、自分たちで稽古内容を決めるように言われ、自分たちで考えて活動するようになっていました。

もしO先生がはじめから、自分がいなくなっても生徒が成長していけるように、あえてそうしていたのだとしたら、底の知れない人だと、今になって思います。

初めて、教師と別れるのが悲しいと感じました。

教育実習

大学3年時、小学校と中学校に教育実習に行きました。

はじめに中学校に実習に行きました。色々な不安はありましたが、生徒たちと仲良くなるにつれて、だんだん楽しくなってきました。

特に、部活で剣道部の指導した時は、中学時代からの夢が叶ったような、そんな気持ちになりました。

しかし、それ以上に心に刻まれているのは小学校での実習です。実習の最終日、担当していたクラスでお別れ会を開いてくれました。

子供たちが一人ひとり、わたしの前で手紙を読んで渡してくれました。涙を流して手紙を読む子供たちを見ていて、わたしも涙が止まりませんでした。

教育実習に行って、子どもたちの前で授業はしていたものの、本当はわたしが子どもたちから多くのことを教えられていたのだと、最後に気づかされました。

こんなに心を通わせることができる仕事、やりがいのある仕事は他にない、そう思い教員への思いを強くしました。

大学4年時

保険で受けた民間企業

教採を控えた大学4年時。わたしはありがたいことに大学からの推薦をもらえたため、教採の一次試験は免除になりました。おかげで二次試験の面接と小論文まで、しばらく余裕ができました。

非常勤講師になることは避けたかったので、面接練習と教採に落ちたときの保険として、一社(今の会社)だけ民間企業を受けてみました。企業研究はほぼしていませんでしたが、無事に内定をいただきました。

そこから進路に迷いが出てきました。

労働環境

内定をもらった会社は、いわゆるホワイトカラーの大企業。

そこに勤めている親戚が言うには、有給完全消化。各種手当あり。福利厚生充実。という、ブラックで有名な教育現場と正反対の労働条件でした。

教育実習で、21時を過ぎても学校に残っている先生や、朝早くから出勤している先生を見ていただけに、心が揺らぎました。

ホワイト企業で自分のために時間を使うか、夢を取って子供たちのために時間を使うか。

迷いは大きくなりました。

新卒は一度きり

新卒という肩書きを使えるのは多くの人にとって、一度しかありません。

かくいうわたしも、新卒という肩書きがあったから、ホワイトカラーの大企業から内定をもらえたわけで。

はたして教員が合わないと感じた時に、同じ会社に転職できる保証はありません。

ネットを覗くと、教員からの転職は厳しい、という言葉をちらほら目にしました。

もし、教員が嫌になった時どうしよう。教員の世界が自分が思い描いていたものと違ったら、後戻りできないのではないか。そんな思いが大きくなりました。

民間企業➡︎教員という道もある

同じような悩みを持つ人をインターネットで探すうちに、企業勤めから教員になるケースは少なくないことも、わかってきました。

教員から民間への転職は難しいが、民間企業から教員道は開かれている

最終的にそこが大きな決め手になりました。

民間企業で働いてからでも遅くはない

民間企業で働いた経験は、決して教員になってからも無駄にはならない。

民間企業を経験したからこそ、子供たちに教えられる事もあるはず。

そんな考えが大きくなっていきました。

民間企業を選ぶことへの葛藤

教員を目指すにあたり、多くの人に出会い、そしてお世話になりました。

まず思い浮かんだのが、教育実習でお世話になった先生と子供たちです。

わたしの夢を応援するため、忙しい中でも時間を割いてご指導くださった教員の方々。

わたしの未熟な授業を、なんとかして助けようと頑張ってくれた子どもたち。

ほんとに民間企業を選んでいいものか、子どもたちを裏切ることにならないか、そんな思いが湧いては消えていきました。

教採を受けるにあたり、O先生にもアドバイスをもらっていたので、もしこれで民間企業に入ったら、ガッカリさせてしまわないか心配でした。

お世話になった人たちの顔が何度も頭をよぎりました。特に子どもたちとの日々、笑った顔や泣いている顔が、ふとした時に思い出されました。

教員採用試験不合格

大学からの推薦という事で、教採を受けないで大学の信用を落とすわけにはいきません。

しかし、民間企業への迷いもあった事もあり、面接練習、小論文ともに、対策に身が入りませんでした。

そんな状況を採用担当に見抜かれたのか、教採の二次試験は不合格という結果になりました。

非常勤講師として働くことは私の中で選択肢になかったので、ここで民間企業に就職する事が確定しました。

結果を見た時は、やっぱりなというのと、もう迷わなくていいことへの安心感がありました。

民間企業に入って思う事

民間を選んでよかった

当時22歳の自分を振り返ると、まだまだ幼い面が多かったと、恥ずかしくなります。

感情のコントロールが上手くできなかったり、表情に出してしまったり、自分が正しいと思い込んで子どもと接してしまったりと、教員になるにはいたらない点ばかりだったと感じます。

民間企業で働く中で、他者との考えの違い受けいれること。失敗から自分の無知を知ること。多くの経験がわたしを人間的に成長させてくれたと感じています。

あんな状況で教鞭をとっても、子どもたちに悪影響だったのではないかと、想像できてしまいます。

あの時の選択は正しかったと、いまは思います。

民間企業➡︎教員は少なくない

わたしの周りにも、高校の先輩、会社の後輩など、身近な人も民間企業から教員に転職しています。

民間企業から教員への道は開かれているのだと、見ていて思います。

会社の後輩曰く、働きながら勉強するのはそれなりに大変だったとのこと。2回目の挑戦で無事に合格できたと言っていました。

彼自身、ずっと夢だった教員が決まり、とても清々しい顔をしていました。

教員以外でも子どもたちと関われる

昨年、教員にならなくてもいいものかと考えたことがありました。

かといって、いきなり教採を受けて転職する勇気もありません。

ふと、大学時代に参加したボランティアのことを思い出しました。

インターネットで探してみると、子供たちの学習支援をしている団体を見つけました。

そこに申込をして、実際に中学生の学習支援に参加してみました。

また、子ども食堂やユニセフへの募金もしてみました。

募金先を探すうちに、子どもたちを支援する団体は多くあることを知りました。

教員でなくとも、さまざまな形で子どもを手助けする方法はあります。

教員の同級生に会って思うこと

これは完全に主観ですが、教員の同級生に久しぶりに会うと、どうしても子どもに教える立場からか、上からの発言が多いように感じられてしまいます。昔はあまりそういう印象はありませんでしたが、そういうものなのでしょうか。

自分が親であるならば、子どもと同じ目線で対等に接してくれるような、そういう先生に教えてもらいたいと思うようになりました。

また話を聞いていると、休日返上で仕事すること、自由な時間がないこと、を話していました。

しかし、そんなことを言いつつも、仕事の話をしている時は、生き生きとしています。

やはり教員にやりがいを感じているのだと、その様子を見ていて思います。

まとめ

今回は、わたしが教員と民間で迷った大学4年、当時のことについて話しました。

まとめると、

民間➡︎教員の道は開かれている

民間を選んで成長できたことは多い

教員の魅力はやりがい

教員でなくとも子どもと関わる事はできる

という内容でした。

わたしは現在のところ、教員への転職は考えていませんが、教員という職業が大きな社会的責任のある、やりがいのある仕事である事は間違いありません。

この記事が、私と同じように迷っている学生のヒントになってくれれば嬉しいです。

最後までご覧いただきありがとうございました。

SHINYA

埼玉県本庄市出身。94年生まれ。
大学4年時、教員と大企業で悩んだ末に、安定を求めて某大企業に就職。
コロナ禍をきっかけに資格勉強をスタート。
2年間で10以上の資格を取得。主な資格は、宅地建物取引士、日商簿記二級、FP二級。TOEICを345点→800点に伸ばす。
新たな挑戦のため約7年勤めた会社を退職。
現在はワーホリを利用してニュージーランドに在住。
趣味は散歩と読書。好きなことは食べること。特技は剣道(五段)。

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