教師を目指したきっかけ

資格・本

こんにちは、SHINYA です。

先日、わたしが教員か民間企業で迷った時について記事にしました。

そこで触れた、教員を目指すきっかけになった中学時代の恩師について、今回は詳しくお話ししたいと思います。

完全にわたしの思い出話ですが、どなたかが興味を持ってくだされば幸いです。

恩師との思い出

出会い

わたしが新しく中学2年になった時、新しく着任してきた先生が、わたしの剣道部の顧問になりました。

26歳の男性教諭でした。(以後、O先生と呼びます)

最初こそ、どんな人かわからず警戒していましてが、まだ若く、年齢も近かったのですぐに打ち解けました。

何より嬉しかったのは、剣道の経験者であった事です。

前任の先生は、剣道未経験だった事もあり、指導されても、あまり素直に聞く気になれませんでした。

10人ほどの部員全員、中学から剣道を始めた事もあり、剣道の先生がいる他校を羨ましく思っていたので、期待に胸が膨らみました。

部活の変化

三年生は最後の大会が終わり、引退となりました。

そこから、O先生による稽古内容も大きく変わりました。

これまではケガをしないように優しめの稽古メニューから、とにかく数をこなして身体におぼえさせるキツめのメニューになりました。

土日休みはなく、どちらも部活になりました。

練習試合も増えました。

特に夏休みは、毎日ひたすら基本稽古と掛かり稽古、打ち込みをしていました。

猛暑のサウナのような体育館で、毎日ヘトヘトになるまで練習したのは、今となっては良い思い出です。

部活を離れる生徒もいましたが、ほぼ全員O先生について行きました。

O先生も一緒になって稽古をつけてくれたことが、今までの部活にはなかった事だったので、本当に嬉しかったです。

よくO先生も休日返上で付き合ってくれたなぁ、と社会人になって思います。

しかし、これまでの仲良しクラブでは感じることのなかった、充実感と確かな手応えがありました。

1年生の時は、一回も勝てなかった生徒も次々と勝利を挙げるようになってきました。

わたし自身も、練習試合で実力者と渡り合うまでになっていました。

こんなにも変わるものなのかと、不思議に思いつつも、試合が楽しみでした。

実力が上がる中でも、O先生は冗談まじりに、

『まだまだそんなんじゃお話になりませんよ』

と言っていました。

O先生に認められたい、そう思うようになりました。

O先生の人柄

どうしてキツい稽古でも、みんながついてこられたかというと、やはりO先生の人柄が挙げられます。

先生というよりも、みんなのお兄ちゃんという感じです。

思った事をはっきりと言う裏表のない性格。

生徒全員を惹きつけるユーモア。

ふざけるところと真剣なところをしっかり使い分けられる、大人の雰囲気。

体育館のステージにある校長先生の机でテストの丸つけをしながら、部活を見る自由さ。

そうした人柄に惹かれ、生徒から信頼されていました。

特に、実力で劣る生徒のケアをしっかりとしていました。声をかけてなぐさめるのではなく、剣道と関係ない話をして、笑いをとっていました。

生徒の居場所を作ることに、長けていたように思います。

O先生を見ていて、しだいに教師になりたいという思いが芽生えてきました。

新人戦前日

2年生の秋、部長になって初めての公式戦がありました。

中学から剣道を始めたわたしは、これまでなんの結果も残していなかったので、まずは予選で入賞して県大会に行く事を目標にしていました。

その前日、O先生が電話をくれました。

その時言われた、

『普段はまだまだみたいなこと言ってるけど、お前なら勝てると俺は本気で思っているよ』

という言葉は、今でも忘れられません。

わたしは照れ笑いをしながら、

『はい、わかってます』

と答えました。

O先生に信頼されていると心ではわかってはいたものの、言葉で伝えられた事はなかったので、

やってやろう

という気持ちになりました。

本当に生徒を乗せるのが上手な先生です。

おかげで新人戦は、団体戦は県大会を逃したものの、個人戦で県大会出場を決めることができました。

厳しい言葉

県大会を控えたある日、部活を見ていたO先生が稽古終わりに、全員に向けて大声で説教を始めました。

部活に当たり前のように遅れてくる者がいること

キツい練習をダラダラやって、やらされてる感が出ていること

やりたくない者は部活を辞めるようにとのこと

これまでO先生が声を荒げるのを見たことがなかったので、一同固まってしまいました。

中でも、

『強いやつが弱いやつに手を抜いて稽古してたんじゃ意味ないだろ!強いやつは弱いやつに教えてやればいいじゃねえか!』

と遠回しに自分の事を言われた事が、わたしの心に刺さりました。

見抜かれていた

そう思いました。

後日O先生から、今後は自分たちで稽古内容を決めるようにと言われました。

その日を境に、O先生は以前ほど部活に顔を見せなくなりました。

突然の別れ

あの厳しい言葉があってから、部の雰囲気は変わりました。

自分たちで考えて行動するようになっていきました。

そのおかげか、2年生を終える頃までには、団体戦でも結果を残せるようになっていました。

わたし個人としても、市の大会で2回、優勝するほどになっていました。

さらなる飛躍に胸を膨らませていた2年生の春休み。

朝、部活に行こうとしたところ父親から、

『O先生異動するんだな』

と言われました。

なんでも新聞に書かれているとのこと。

え、そんなこと聞いてないし、一年しかまだいないし、何かの間違いじゃない?

そんなことを思いつつ部活に行くと、O先生は

すまん、俺今日までなんだ!

と明るく言われました。

一同、動揺を隠せず、稽古にも身が入りません。

部活が終わってから、みんなで公園に集まって、色紙を描きました。

どうにかならないもんかと、公園で話していましたが、なるはずもありません。

O先生に色紙を渡しに行くと、O先生はずっと笑っていました。

親しみやすく、成長させてくれた先生だっただけに、生徒はみんな悲しんでいました。

泣いている生徒もいました。

『団体戦で県大会に行きます』

そう伝えると、

『頑張って下さい』

と優しく言われました。

とにかく結果で恩返しすることを決意しました。

最後の大会

中学3年、最後の公式戦が行われました。

わたしのチームは、接戦の末に優勝し、8年ぶりとなる悲願の団体戦での県大会出場を決めました。

O先生との約束を果たせたことが嬉しくて、みんなで喜びました。

O先生のおかげで、わたしの中学時代は非常に充実したものとなりました。

自分もO先生のように、一度しかない中学時代を素晴らしい時間を与えられる教師になりたい。

剣道を教えられる先生になりたい。

部活を引退するころには、そう強く思うようになっていました。

高校は剣道の強豪校で、近隣の高校で1番の進学校に行くことを決めました。

教師を目指すために進学校を選んだため、勉強に苦労しましたがなんとか合格することができました。

高校時代

剣道の強豪校ということで、入ってみると想像をこえるキツさで、毎日死にそうでした。

精神的にも肉体的にも極限まで追い込まれていました。

何度も何度も剣道部を辞めようと思いました。

しかし、そんな時いつもO先生のことが思い出されました。

ここで辞めたら会わせる顔がない、そう思ってなんとか続けることができました。

高校最後の大会。インターハイまであと2勝というところで接戦の末敗れ、3位という結果に終わりました。

しかし、中学時代は県大会出場を目指していたわたしが、県3位までいけたことをO先生に伝えたくて、大会の翌日O先生に電話しました。

『おー、どうしたー!?』

といつもの声が聞こえて、変わっていなくてホッとしました。

県で3位になったこと。O先生がいなかったらあのまま仲良しクラブで終わっていたこと。成長させてくれたことへの感謝を伝えました。

すると、

『3位ってすごいな』

『そう言ってくれるだけで嬉しいです』

そんなことを言っていました。

教師への思いは変わらず、地方国立大学教育学部への進学を決めました。

大学時代

大学でも剣道は続けました。

大学3年の冬、教育実習も終わり、いよいよ来年は教採です。

そんな時、中学時代の剣道部で忘年会をすることになりました。O先生にも声を掛けてみたところ、参加してくれることになりました。

約7年ぶりの再会です。

みんなそれぞれ話が沢山ありましたが、O先生も驚くほど当時のことをおぼえていて、やはり話が上手だと思いました。

わたしは、

O先生がきっかけで教師を目指したこと。

O先生のおかげで部活を耐えたことなどを話しました。

その時知ったのですが、O先生の中学時代の剣道部の顧問が、わたしの高校のOBで、その当時の稽古をわたしたちにやらせていたとのこと。

どうりでO先生の稽古と、わたしの高校時代の稽古が似ているわけだと、納得してしまいました。

キツかったことは変わりませんが(笑)

そして、O先生が一年で異動した理由もわかりました。

当時O先生は一年契約の非常勤講師だったとのことで、現在は常勤の先生として働いてるとのことでした。

しかし、もしO先生が非常勤じゃなかったら、この出会いはなかったと思うと、巡り合わせとは不思議なものだと考えさせられます。

時間はたっても教師と教え子という関係は変わらないものだと、実感しました。

そして大学4年になり、以前お話しした、迷いが出てきます。

まとめ

ご覧いただきありがとうございました。

わたしの人生に影響を与えてくれた、恩師についてお話ししました。

まとめると

教師を目指すきっかけ 恩師との出会い わたしの高校大学時代

という内容でした。

完全にわたしの思い出話でしたが、楽しんでいただけたら幸いです。

最後までありがとうございました。

SHINYA

埼玉県本庄市出身。94年生まれ。
大学4年時、教員と大企業で悩んだ末に、安定を求めて某大企業に就職。
コロナ禍をきっかけに資格勉強をスタート。
2年間で10以上の資格を取得。主な資格は、宅地建物取引士、日商簿記二級、FP二級。TOEICを345点→800点に伸ばす。
新たな挑戦のため約7年勤めた会社を退職。
現在はワーホリを利用してニュージーランドに在住。
趣味は散歩と読書。好きなことは食べること。特技は剣道(五段)。

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