教育実習の思い出

こんにちは。SHINYAです。

今回は、わたしの人生に大きな影響を与えてくれた、教育実習についてお話ししたいと思います。

教員を目指すのであれば、おそらく多くの人が経験する教育実習。

そんな教育実習の思い出とともに、その当時感じたことを、記事にして行きます。

教育実習が不安な方、教育実習に興味のある方に読んでいただければ幸いです。

中学校での教育実習

わたしの大学の教育学部は、大学3年になると、小学校と中学校のどちらにも教育実習に行くことになります。わたしははじめ、中学校に一カ月、教育実習に行くことになりました。

中学2年生のクラスへ

わたしは中学2年生のクラスで実習をすることになりました。

実習初日は、かなり緊張しました。何を挨拶しよう。生徒に受け入れてもらえるか。担当の先生どんな人か。

様々な不安がありました。

担当してくれた先生は、30代後半の体育教師でした。生徒には厳しいですが、わたしにはとてもやさしく真剣に指導してくれました。

生徒たちはというと、初日の昼休みから話しかけてくれて、少しずつ打ち解けられました。

初日でかなり緊張感は和らぎました。

体育教員として実習に行きましたが、実習のはじめの方は自由で、数学や理科など、専門外の授業も見られて楽しかったのを覚えています。

中学2年生というと、わたしが恩師に出会った時と同じ歳なので、何か縁のようなものを感じました。

体育祭

配属されて少ししてから、体育祭がありました。

実習生は運営の手伝いをします。

生徒たちは一位を目指して、クラス一丸となっていました。

自分のクラスの応援をしつつ、体育祭ってこんなに盛り上がってたかな、なんて中学生の時を振り返っていました。

見事わたしの担当するクラスが一位を取って、みんなで喜んだのを覚えています。

こういう行事に、生徒と一緒になって取り組める教師という仕事って楽しい、そう感じました。

授業

体育祭も終わり、わたしはバレーボールの授業を担当することになりました。

授業の大方の流れは、指導担当の先生が教えてくれました。

どんな授業にするか、なにを話すかは自由でした。

授業の指導案を、前日に指導担当に見てもらい、授業をするという感じでした。

わたし自身は、バレーボールは未経験で、かなりはじめは心配でした。

しかし、指導担当の先生やバレー部の生徒の助けもあり、なんとか全ての授業をやり切ることができました。

授業準備のために、毎日のように夜まで学校に残っていましたが、帰りに他の実習生とご飯に行ったりと、それなりに楽しかった記憶があります。

部活

わたしははじめ柔道部に配属されていました。

ずっと剣道を教えるのが夢だったので、

剣道部配属の実習生にお願いして、1日交代でやることにしました。

そうは言っても、柔道部をないがしろにするわけにもいきません。

柔道は体育の授業でしかやったことがありませんでしたが、柔道着を持っていって、生徒たちと一緒に稽古しました。

剣道部も、防具をつけて、一緒に稽古しました。

指導というよりかは、一緒にやる中でお手本を見せつつ、気になることを指摘する感じでした。

それでも、剣道部で剣道を教えるという長年の夢が叶って、とても高揚感があったのを覚えています。

生徒たちも、上手でも下手でも、一緒になって練習してくれる先生がいると、嬉しそうでした。

わたしも中学時代、同じことを考えていたので、一緒に練習できたことはとてもいい思い出です。

なにより、一緒に練習したことで、部員の生徒たちとの距離がかなり近くなりました。

そのおかげで授業の時も、かなり助けられました。

生徒のために授業はしているものの、生徒の助けがないと、授業は成り立たないのだと思いました。

先生の様子

実習生は土日は休みで、部活はありませんでしたが、他の先生方は部活で土日も学校に来ていました。

また、実習生よりも朝早く来て夜遅く帰る先生がほとんどでした。

教育実習では、本来の教員の仕事の大変さを知ることはできないと思いました。

相手が中学生ということもあり、多くの先生たちはかなり堂々と生徒たちに接していました。

確かに学級経営をする上で、生徒から甘く見られることは良いことではないので、必然的にそうなるのかも知れません。

多くの先生は生徒たちに真剣に向き合い、生き生きとしていました。

生徒の様子

わたしが担当した生徒たちは、まだ幼さが残りつつも、少しずつ大人に近づいている印象でした。

本当に1人1人が個性を持っていて、それぞれの良さがありました。

実習生はお兄さんお姉さんのようで面白いのか、どの実習生も人気でした。

普段の学生生活で、周りの人からそんなにチヤホヤされることはないので、実習中はなんだか心地良さもありました。

学校からは生徒と連絡先を交換することは禁じられていましたが、今後の成長が気になり、交換したくなる気持ちもわかる気がしました。

多くの生徒たちは、好意的に接してくれました。

どう感じたか

中学校の実習した感じは、中学時代に考えていた先生の仕事とそこまでギャップはありませんでした。

しかし、1か月しかいなかったこと。

授業参観や保護者対応もしていないこと。

土日休みで部活もなかったこと。

全ての授業をやったわけではないこと。

いじめや学級崩壊などに直面しなかったこと。

など、教育実習だけで、教員の仕事を知ることはできないと感じました。

適度な大変さと、楽しさがある、教員の良い面だけを体験させてもらった教育実習だったと振り返って思います。

小学校での教育実習

中学校の次は、小学校で3週間、教育実習に行きました。

小学3年生のクラスへ

小学校の実習では、3年生のクラスになりました。

指導担当の先生は、40代の女性教員でした。

実習前のご挨拶の際に、クラス全員の名前を覚えて来るように言われました。

実習始まってからでも良くない?と思いましたが、一応覚えていきました。

これがかなり役立ちました。

実習期間が3週間しかなかったので、それを見越して、すぐに仲良くなれるように、という指導担当のご配慮だったと気づきました。

おかげで初日からかなり子どもたちと距離が縮まりました。

授業

指導担当と相談の上、国語、算数、道徳、体育の授業をやらせてもらえることになりました。

正直、小学校の授業が1番心配でした。

大学では体育の模擬授業しかやっことがなかったからです。

しかも小学生にもわかるように算数と国語を教えるなんて…。

そんな心配を知ってか知らずか、指導担当の先生がかなり丁寧に授業について教えてくれました。

それを元に指導案を書いて、前日に指導担当に見せて、授業という感じです。

ここでも子どもたちとの仲の良さに助けられました。

わたしの授業の至らない点も、なんとか助けようと。理解しようと、必死になって協力してくれました。

子どもたちとの信頼関係は、何よりも大切だと痛感しました。

最後の道徳の授業が終わってから、ある児童から、

『今までの授業で1番楽しかった』

そう言われた時は、嬉しくて嬉しくて、仕方ありませんでした。

お別れ会

教育実習の最終日、午後の授業の時間を使ってお別れ会を開いてくれました。

子どもたちが、一人ひとりわたしの前で手紙を読んでくれました。

とても強気で、実習中にどう接するべきか手を焼いていたある男子児童がいました。

彼が、手紙の最後に『ずっと元気でね』と言って泣きながら抱きついてきてくれました。

その瞬間、涙腺が崩壊しました。

どんなに言葉が下手でも、必死に気持ちを伝えられると、心が震えました。

その後も、まるで今日わたしが死んでしまうんじゃないかと思っているかのように、子どもたちが泣きながら手紙を読んでくれました。

わたしもコンタクトレンズが取れるほど、涙が止まりませんでした。

お別れ会が終わって、子供たちを校門まで見送ったあと、指導担当から

『実習どうでした?』

と聞かれて

『最高でした。絶対教員になります。』

そう答えたのを覚えています。

こんなに心が通じ合える仕事は他にはない、そう思いました。

先生の様子

中学校と比べると部活もない分、早めに帰れるような印象はありました。

小学校は子育てをしている女性の先生も多く、比較的家庭と仕事の両立が可能な職場なのかなぁ、と感じました。

しかし、夜まで残っている先生も多くいたことは確かです。

ただライフワークバランスで考えると、小学校の方が融通がききそうなイメージがありました。

子どもたちの様子

小学3年生は、ほんとに純粋な子どもたちでした。

素直な子どもが多く、教師の影響力が大きいだけに、もしかしたら中学校教員よりも責任重大かもしれないと思いました。

白にも黒にも染まれる時期なだけに、良い影響を与えられるような、そんな大人が近くにいることが大切だと、実習をしていて感じました。

また中学生よりも、わたしは親しくなりやすかったです。

ボランティア

小学校の教育実習が終わって2ヶ月ほどしてから、小学校の指導担当から電話をいただきました。

なんでも、持久走大会があるから手伝ってほしいとのこと。

もう子どもたちに会えないと思っていたために、嬉しかったです。

持久走大会に行った際に、指導担当から、学期末まで、週2回体育の授業だけ担当してもらえないか、と提案されました。

わたしの大学は教育実習が終わると、大学4年になるまで授業がなく、事実上の長期休みのような状態になります。

その期間を利用して、実習校でボランティアとして教師の補助という形で延長する学生が稀にいますが、わたしにそのチャンスが来るとは思っていませんでした。

わたしはまた子どもたちと一緒にいられることがうれしくて、二つ返事で了承しました

ポートボール大会

週2回の体育の授業で、ポートボールを教えることになりました。

ポートボールは、小学生の体育で初めて取り扱う球技ということで、わたしの授業の良し悪しで、今後の子どもたちの球技の好き嫌いが決まるかもしれません。責任重大です。

とにかく飛んでくるボールへの恐怖心をなくすため、

ルール変えたり、突き指をしないように柔らかくて軽いボールを使ったり。

色々と考えました。

1番心配だった、女子児童たちもボールへの恐怖心を持たずに済んだようで、安心しました。

その甲斐あってか、学期末のポートボール大会では、最初の授業からは想像できないほど、上達した子どもたちの様子を見て、涙が出そうになりました。

授業参観

学期末シーズン、授業参観がありました。

正直、21歳の若造が、子供たちの親に囲まれていると、とても緊張しました。

わたしが授業をすることはありませんでしたが、もしかしたら再来年からは、自分が大人たちの前に立って、子どもたちに指導しているのかと思うと、できる気がしませんでした。

子どもたちが帰った後の懇談会。

指導担当の先生が、堂々と親御さんたちと子どもたちのことについてお話をされている様子を見ていて、こうやって信頼関係を築くのかと、勉強になりした。

これを自分も2年後にもできるか、心配になりました。

実習では気づけなかった子どもたち

ボランティア期間中、なんでも屋のような感じだったので、自習クラスの担当をしたり、他のクラスで体育の授業をしたり、いろいろと経験できました。

あるクラスで子どもたちと一緒に給食を食べているとき、わたしが

『昨日の夕ご飯なに食べたの?』

と聞きました。

それぞれ答えていましたが、ある児童が

『白いごはん。お兄ちゃんが作ってくれた』

と答えました。

あまり深くは聞くことはしませんでしたが、

どうやらその児童の家庭は複雑な事情があるようでした。

他のクラスにも、事情は違えど、家庭で大切にされていない子どもたちがいることが、見えてきました。

実習中は、自分のことで精一杯で、全く気がつきませんでしたが、ボランティアを通して、自分の知らないところで戦っている子どもたちが、少なくないことを知りました。

そうした子どもたちをなんとか助けることはできないものか、そう思いました。

それと同時に、はたしてわたしが教員になった時、そんな子どもたちを全員助けることができるのか、という不安も出てきました。

小学校教員を受けることを決意

小中どちらの学校も経験した上で、以下のことが小学校を受ける決め手になりました。

小学校教諭の方がライフワークバランスを取れる

小学校教諭の方が子どもへの影響力が大きいだけに責任も大きい

家庭環境と戦う子どもたちの支援をするのであれば、小学校のほうが早い段階で手を差し伸べられる

ボランティアを経験して、半年近く小学校で過ごせたことが、この決断を後押ししてくれました。

また、ボランティア先の校長先生が、大学宛に推薦状を書いてくれました。

そのおかげがあってか、わたしは大学推薦をいただき、教員採用試験の一次試験が免除になりました。

ほんとに実習先の小学校の先生方には感謝しかありません。

まとめ

今回は、わたしの教育実習の思い出についてお話ししました。

内容をまとめると、

中学校の実習について 小学校の実習について ボランティアについて

の三本立てとなっています。

これから教育実習に向かう方、教員を志す方のなにか参考になってくれたら幸いです。

最後までご覧いただきありがとうございました。

SHINYA

埼玉県本庄市出身。94年生まれ。
大学4年時、教員と大企業で悩んだ末に、安定を求めて某大企業に就職。
コロナ禍をきっかけに資格勉強をスタート。
2年間で10以上の資格を取得。主な資格は、宅地建物取引士、日商簿記二級、FP二級。TOEICを345点→800点に伸ばす。
新たな挑戦のため約7年勤めた会社を退職。
現在はワーホリを利用してニュージーランドに在住。
趣味は散歩と読書。好きなことは食べること。特技は剣道(五段)。

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